「おもんない」は良くない

私は常々、「面白くない」という言葉は危険だと思っています。

逆に、「面白い」という言葉には無限の可能性があると考えています。

これは私が関東の人間だからなのかもしれませんが、関西弁で「おもんない」というのを口癖にしてしまうのは特に危険だと感じています。

それだけ関西の人は面白いことを熱望しているということなのかもしれませんが、東西に関わらず、「面白くない」を口に出すのはよくありません。

ひとつの思考実験として、もし世界一面白い人がいたとしましょう。

その人からしたら、世界中のすべての人が自分よりは面白くない人なわけです。

だとすると、その人はいつもいつも他人に対して「面白くない」と言っているでしょうか?

私はむしろ反対のような気がしています。

つまり、「世界一面白い人」というのは「面白い人や物事を見つけるのが世界一上手い人」だと思うのです。

ですから周囲の人や物、出来事に対して、「面白くない」ばかり言っている人というのは、「面白さ」を見つける才能が枯渇していたり、「面白さ」を見つける努力を怠っていたりするのではないでしょうか。

注意深く見れば、世の中は面白いことだらけですし、ましてや人間ともなれば面白くない人など存在しないと私は思っています。

そして、他人から見て自分が面白い人と思われるかどうかよりも、面白いことを見つけること、他人に面白さを求めるよりも、他人の面白い部分を見つけることが大切なのではないかと思います。

もちろん、私は科学者でも哲学者でもありませんから、なんのエビデンスもなく、正しいかどうかもわかりません。

ただ、「面白くない」と言う人は「面白くない」と言ってしまったら、私の意見自体が矛盾してしまいます。

「面白くない」と言う人も面白いです。

「面白くない」と言うのを止めたらもっと面白くなるでしょう。

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