呼び捨てか、さん付けか

皆さんは政治家や芸能人、スポーツ選手などの話をするとき、呼び捨てにするでしょうか?それともなんらかの敬称(さん、様、先生、選手など)を付けるでしょうか?

人と対面で話すとき、非常に親しい間柄なら呼び捨てもあり得ますが、大人同士なら普通は相手のことを敬称で呼ぶと思います。しかし、少なくとも日本人は、一度も会ったことのない有名人の話をするとき、呼び捨てにする人が多いように感じます。

歴史上の人物や、創作上の人物なら呼び捨てが自然かもしれません。しかし、現役の政治家や芸能人、スポーツ選手の場合はどうでしょうか?実際にその人を目の前にして会話するとしたら、呼び捨てにするでしょうか?

多くの方はそうしないと思います。つまり「さん付け」など、敬称を付けるでしょう。

しかし、それはちょっと卑怯なのではないでしょうか?本人のいないところでは呼び捨てにし、本人の前では敬称を付けるというのは、悪口や陰口に近いことだと思います。

私は、本人の前であっても本人がいないところであっても、たとえ自分の心の中でも敬称は付けるべきだと考えています。

理由の一つとして、敬称を付けることでその人を一人の人間として認めることになると思うからです。会ったことのない有名人は、自分の中で知らず知らずのうちに、なんとなく現実感のない架空のキャラクターのようになってしまいがちです。しかし、どんな有名人も自分と同じ一人の人間であることに変わりありません。敬称を付けることで、そんな当たり前のことを常に意識できるのです。

また、有名人を呼び捨てにする人の心理として、「自分とは別世界の人だ」という思いがあるのかもしれません。もっと言えば、「自分なんて到底かなわない、上の世界、高い次元の人だ」と、最初から負けを認めてしまっているのかもしれません。

しかし、私としてはそれもしたくありません。どんなに偉大な人であっても、あくまで自分と同じ世界の人だ、という自覚を持ち続けていたいのです。そうでなければ自分と正しく比較し、その偉大さを正しく認識することもできないからです。

呼び捨てにしていると、自然とその人を軽視するようになってしまいます。しかし、その人は自分よりもずっと努力している可能性が高いです。逆に敬称を付けることで、自分の中に自然とその人に対する敬意が芽生え、良い部分を見習うこともできるようになると思います。

もしかしたら、このブログを読んでいる方の中には、今まで有名人を呼び捨てにしていた方もいるかもしれません。それ自体は私は全然かまわないのです。明日から、今日から、この瞬間から、心を入れ換えて、行いを改めればよいのです。きっととても穏やかで、最高の気分です。

人間はいつでもやり直すことができます。クリスマス・キャロルの主人公スクルージのように。

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