マジックは見破るべきか、見破らざるべきか

マジックを始めた人は最初、簡単に種を見破られてしまって悔しい思いをするものです。

だから必死で種を見破ろうとする人は悪い観客、素直に拍手してくれる人が良い観客だと考えます。

しかし、上達するにつれて、徐々に考えを改めていかなくてはいけません。

ときどき、「マジックは、種を見破ろうとせずに純粋な気持ちで見てください」などというマジシャンもいますが、私はこれはおかしいと思います。

観客がマジックを全く疑わずに、現象をすべて受け入れてしまうと、そこに驚きはあるのでしょうか?

例えば空っぽのシルクハットからウサギが出るとして、「このマジシャンにはそういう能力があるんだ」と受け入れてしまうと、不思議だという感情がなくなってしまいます。

もっと極端に考えると、マジシャンがシルクハットの中を見せずに、「このハットは空っぽです」と言い、それを観客がまったく疑わずに信じてしまった場合でも、マジックが成立することになってしまいます。

そうなるともはやマジシャンの腕とはいったい何なのでしょう?

マジックがマジックであるためには観客に疑いの心が必要です。

帽子が怪しいと考える。

しかし、帽子の中が空なのを見せられる。

それにもかかわらず帽子から何か出てくる。

その過程によってようやくマジックが不思議なものになるのです。

ですから、まったく疑いもせずに拍手をしてくれる人というのは、良い観客というよりはもはやマジックを観賞することを放棄してしまっているとさえいえます。

もちろん、マジックを疑うだけでなく、マジックの進行そのものを妨害してしまう観客は良い観客とは言えないでしょう。

しかし、実際にはそれすらもマジシャンの方である程度予防することはできます。

文章ですべて説明すると長くなってしまいますし、マジックによっても異なるのですが、基本的には道具の扱い方や台詞、手順構成などで防衛します。

基本的にマジシャンはありとあらゆる防御策を用意しているものですし、マジック教室ではそういった部分もお教えしているつもりです。

マジックを始めたばかりの方はどうか疑り深い観客のことも大切に、そしてどうしても行き詰ってしまったら誰かマジックの実演に詳しい人に見てもらうのも良いと思います。

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