綺麗事にだまされるな!?

世の中には一見正しそうで、でもよく考えてみると疑問が残る言葉もあります。

実生活でももちろん、インターネット上のブログやSNSでもそのような言葉は見かけます。

私が個人的に疑問に感じることを3つ挙げますので、読者の方も自分なりにいろいろと考えていただければ幸いです。

「楽しみましょう」

マジックやダンス、音楽などの発表会において、よく「今日の発表会を楽しみましょう」という言葉を耳にします。

他にも、「マジシャンが楽しんで演じていなくては、観客も楽しめない」などとまことしやかに言われることもあります。

たしかにマジックを含む芸能芸術は観客を楽しませるために演じるものですが、演者も楽しむべきかどうかは別問題です。

「演者が楽しみましょう」というアドバイスは、がちがちに緊張してしまっている初心者の方に、少しでも力を抜いてリラックスしてもらうという効果はあるかもしれませんが、絶対の真理ではありません。

演者が観客のためにベストを尽くそうと思った場合、それはとても苦しいことです。楽しいことではありません。それは仕方がないことなのです。

この種のアドバイスとして、「楽しそうに演じましょう」であれば、理解できます。

特に、短時間の出演であれば、楽しそうに演じるだけで十分なこともあります。

しかし、もっと長い出演になるとどうでしょう。

音楽や演劇を考えていただくと、「楽しい」という感情だけでは物足りないということがわかります。

ときに哀しい歌、悲しい場面もあるからこそ、全体としてメリハリがついて起伏に富んだ構成になるのです。

喜びや悲しみ以外にも、怒りや焦り、虚しさなど、人間の感情はとても複雑です。

ですから、マジックが芸能芸術である以上、音楽や演劇と同様、「豊かな感情表現をしましょう」というのが適切なアドバイスです(必ずしも感情を爆発させる必要はなく、抑えた感情も含めての豊かな表現です)。

私の考えをまとめるとこうなります。

「演者が楽しみましょう」→必ずしも真実ではない

「楽しそうに演じましょう」→より良いアドバイス

「豊かな感情表現をしましょう」→最も適切なアドバイス

皆さんはどう考えますか?

「立派な人格」

「マジシャンたるもの立派な人格をもっていなくてはならない」というのもいかにも真実そうです。

しかし、私はこれにも疑問を感じます。

もちろん、仕事をすっぽかしたり、犯罪を犯して捕まったりするのは論外ですが、そもそもマジシャンはこの世に必要不可欠の職業ではありません。

私が立派だと思うのは、難病を治す医者や、環境問題を解決する科学者などです。

それはさておき、マジシャンも芸術家の一員として、人間の醜さや不完全さにもっと向き合うべきです。

美辞麗句に酔って自分も立派な人間になろうとするばかりでなく、自分の悪いところ、弱い部分こそ個性や魅力につながるのですから、大切した方が良いと思います。

逆にいえば完璧な人間など存在しませんし、立派なだけでは芸術においてはつまらないものです。

「オリジナリティ」

「パクリはだめです。オリジナリティが大切です」というのも如何にも説得力がありますが、実際には非常に難しい問題です。

どこからどこまでがパクリで、マジックにおける完全なオリジナリティなどあるのでしょうか?

まず、現代において完全なオリジナルマジックを考案することは非常に難しいことですから、過去に別人が考えたマジックを演じることは問題ないはずです。

ただし、そのときに可能な限り、いつ誰が考案したものなのかを調べておくのが大切です。そして、できるだけ公式な本や映像で確認するのが良いと思います。

一番まずいのは、どこかで見かけたマジックを種を推測して演じたり、どこかで聞いたセリフをそのまま真似することです。

見かけただけのマジックを、自主研究として再現するのは構いませんが、人前で演じるのであれば、そのマジックのアイディアの背景を調べておいた方が良いでしょう。

また、誰かが言っていた面白いセリフも、そのままは使わない方が良いでしょう。

この記事の「人格」に関する話で述べた通り、あなたにはあなただけの人格があるのですから、自分に合った形に変える必要があります。

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