選り好みせずに覚え、全て捨てる

私は子供のころからマジックが好きで、本などで雑多なマジックを覚えていき、やがて何人かのプロマジシャンにも習い、その後も学び続けてきました。

教室やサークルなどで教えるために、自分が演じることに興味がなかったマジックも必要から大量に覚えました。

それは結果的に自分の大きな財産になりました。

これからも多くのマジックを学び続けることに変わりありませんし、そのいくらかを人に教えることもあるでしょう。

ただ、自分自身が演じるマジックについては、何でもかんでも演じるわけにはいかないと感じています。

それどころか、プロマジシャンは「何を演じるか」以上に「何を演じないか」の方がより重要であり、「何でも演じる」とは「何も演じない」に等しいのではないかとすら考え始めています。

しかし、これが非常に難しいことです。

私自身を顧みても、他のマジシャンを見ても、自分自身が苦労して覚えた技術やマジックを捨てることは簡単ではありません。

しかし、私は昨今、芸風を変えてきています。

多分、5年10年前の私のマジックの印象と今年や昨年のソロライブを見てくれた方の印象はだいぶ変わってきたのではないかと思います。

そしてそれが徐々に結実してきたように感じています。

ピカソも「芸術家にとって最も危険なことは、自らを模倣することである」と言っています。

ピカソは若いころから素晴らしい絵画の技術を持っていましたが、それをすべて捨て、キュビズムといわれる独自の画風を確立しました。

キュビズムの絵画は、「上手い」と思われることはありませんが、しかし絵が下手な人に描けるというものでもありません。

実はすべてを捨てたように見えて、それでも残っているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です