令和最初の記事として、令和の「和」そしてダーク和秋の「和」にちなんで和妻について書いてみます。和妻とは日本古来のマジックのことですが、近年のマジックであっても日本風にアレンジしたマジック(新作和妻?)は広義の和妻とされることもあります。
まず大前提として、私は和妻に詳しくありませんし、着物の衣装も持っていません。あくまでそんな一マジシャンの意見だと思って読んでください。
和妻をするには日本舞踊が必須?
よく「和妻をするには日本舞踊を習わなくてはいけない」という意見を聞きます。しかし、私は長年これに疑問をもっていました。なぜなら和妻以外のマジックは基本的に西洋のマジック、すなわち洋妻ですが、洋妻を演じるのに、皆がバレエやジャズダンスを習うわけではないからです。
そもそも私たちは日本人の顔、日本人らしい体型に生まれ、ほとんど日本人同士の中で日本語を話して生活しています。そこから生まれる動作や所作、ふるまいは日本的なものであるはずです。むしろ無理に似合わない洋服を着て、西洋のカードなどの道具を使い、西洋のマジックを演じる方がよっぽど難しく、それこそ欧米のダンスでも習わなくてはいけないのではないでしょうか?
また、本来の和妻は日本に古く(江戸時代など)からあるマジックのことですが、当時は現在よりも豊かではなかったはずで、当時の日本のマジシャン(手妻師?)は皆日本舞踊を習っていたのでしょうか?史実はわかりませんが、所作や動作はある程度我流であった可能性もあるのではないかと思います。
日本舞踊未経験での成功例
島田晴夫さんの本、「BOOK OF SHIMADA HARUO」にフロタ・マサトシさんとの対談が載っているのですが、島田さん自身が日本舞踊未経験でありながら、和傘のマジックで好評を博したエピソードが語られていました。お二人の意見としては、日本舞踊を知らなかったからこそ、振り付けを最小限にして、誰が見ても退屈しないパフォーマンスを作り上げることができたとのことでした。
といっても私自身は、マジシャンがなんらかのダンスを習うこと自体は悪いことではないと思っています。パフォーマーとしての身体づくりには十分役立つと思うからです。実際私自身もパントマイムを4年ほどかなり一生懸命に学んだことがあり、身体の姿勢や、表現力には影響があったと思います。何より島田さんの成功はご本人のセンスも大きいので、万人に当てはまるわけではないと思います。
ダンサーはマジックを習うか?
さて、「マジシャンは日本舞踊を含むダンスを習うべき」とするならば、「ダンサーはマジックを習うべき」なのでしょうか?あくまで私の個人的な意見ですが、「マジシャンはダンスを習うべきだが、ダンサーはマジックをやる必要はない」としてしまうと、「マジックはダンスよりも下位のジャンルである」ことを認めることになり、もし本気でそう思うならその人は今日からマジシャンをやめてダンサーになるべきです。
ダンスとマジックとでは競技人口が異なるからといって、ジャンル同士で序列を付けるべきではないと私は考えています。例えば寄席ではマジックは色物として落語よりも下位の出し物ですが、それはあくまで落語がメインの寄席という舞台だからであって、マジシャンよりも落語家の方が偉い、というのはただのマジシャンの謙遜であってほしいです。
私の意見は、「マジシャンがダンスを習うと参考になる点があるし、ダンサーもマジックを習うと参考になる点がある」です。自分のジャンルに誇りを持たなくてはいけないし、同時に他のジャンルも尊重しなくてはいけません。
日本文化とは?
和妻の話に戻りますが、和妻の大きな特徴はやはり日本文化であることです。しかし、普段着物をまったく着ず、日本文化なんて意識もしない人が和妻を演じるのもやはり不自然です。(そもそもほとんどの日本人が着物を着ない時点で、もはや着物が今も日本の文化であり続けているのか、という問題もありますが。)日本舞踊を習うのも良いですが、普段着として浴衣でもなんでも着物を取り入れてみるとか、和楽器の音楽を聴く、歌舞伎を観にいくなど、日常的に日本文化に触れることも大切なのではないでしょうか?
まとめ
基本的にはマジシャンはパフォーマーとしての身体づくりにダンスや日本舞踊、マイムや演劇は役立つと思います。しかし必須ではなく、それはダンサーが必ずしもマジックを習わないのと同じです。もともと日本人なのですから、日本舞踊をやらなきゃ和妻を演じてはいけない、なんてことはありません。その上で和妻を通して日本文化に興味を持ち、世界が広がったらそれは素晴らしいことだと思います。