メンタルマジック考察

私の中でマジックのマイブームのようなものが定期的にやってきます。あるときはロープ、あるときはシルク、あるときはコインボックスのようなマイナーなもののときもあります。そして今のブームはメンタルです。そして、今回は単なるブームではなく、メンタルマジックが私の中で重要なジャンルのひとつになりそうな予感がします。

メンタルマジックはたびたびマイブームとなって研究してきました。思えば子供のときに図書館で松田道弘さんの「メンタルマジック辞典」を読んだのが始まりでした。

しかし、子供の頃は「メンタルマジックほど難しいマジックは無い、というより自分には向いていない」と思っていました。それから練習するのも見せるのもスライハンド系や一般的なトークマジックをメインにしてきました。

今思えば、子供や10代の人にとって、メンタルマジックは難しいのだと思います。むしろ、若い人は練習の成果を素直に評価してもらえるスライハンド系が最も向いていると思います。

また、概して若者は口下手な傾向があります。ごく親しい間柄では楽しく話せても、なかなか不特定多数と上手くコミュニケーションをとるのは難しいもので、年齢とともに経験を重ね、徐々に上手くなっていくしかないものです。

(逆に年を重ねれば重ねるほど、「沈黙は金なり」という諺が重要になってきます。しゃべることに慣れた半面、慣れすぎてセリフを多くしすぎてしまったり、口を滑らせて余計なことを言ってしまうリスクがあるからです。)

私自身はこれまでメンタルマジックのレパートリーは多くありませんでしたが、練習、研究は定期的に続けてきました。そしていよいよ、メンタルマジックは素晴らしいジャンルであると結論付けたのです。

まず、メンタルの対極にあるのはスライハンドです。そして、一般的なマジックを、テクニックをあまり隠さずに、むしろテクニカルな方向に向けていくとスライハンドマジックになります。そしてさらにテクニックの要素を増やしていくと、フラリッシュやファンカード、カーディストリーのような形になり、最後にはジャグリングとなります。

逆に、一般的なマジックを、テクニックをできるだけ見せず、隠す方向に進化させていくと、現象重視、不思議重視のマジックとなり、最終的にはメンタルマジック的になります。

マジックはスライハンドにするべきか、メンタルにするべきか、はたまた中庸にするべきか、というのは各自の好みや適性の問題であり、答えを出すことはできませんが、それでも、マジックにおいて、できるだけテクニックを隠すべきである、というのは「能ある鷹は爪を隠す」という諺通り、理にかなっている気がします。

また、メンタルマジックは作品作りにおいても強みがあります。というのも、スライハンドは、いくら工夫しようともカードはカード、四つ玉は四つ玉、という風に見えてしまい、新しい作品をつくるのは困難です。しかし、メンタルは同じ原理でも、演出を変えたり、演技を変えたり、演者が変わったりすれば全く違う作品に見え、非常に工夫のし甲斐があるのです。

とはいえ、メンタルマジックにも大きな悩みの種があります。それはある一つのメンタルマジックを演じるために、他の多くのマジックが演じられなくなることがあるのです。

つまり、マジックによっては相乗効果どころか、相互に足を引っ張りあう相性の悪いマジックがあります。その点、典型的なメンタルマジックは非常に繊細なバランスの上に成り立っていることが多く、他のマジックに足を引っ張られることが多いのです。

メンタルマジックを取り入れる場合は自分のレパートリーとの相性をよくよく見極めなくてはならず、ときにはどちらかに犠牲になってもらう(つまりレパートリーから外す)しかないこともあります。そんな覚悟が必要なのも、メンタルマジックの難しさであり、奥深さなのだと思います。

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