火を見る、血を見る、動物を見る

今回はマジシャンやパフォーマーからの目線はもちろん、エンターテイメントを受け取る側、消費者側の立場の方にとっても是非読んでいただきたいと思っています。

標題の「火を見る、血を見る、動物を見る」というのは、往々にして大衆は火や血、動物を見るのを好んでしまうのではないか、という私の仮説です。

「火」について

火を使うマジックは昔からありますし、マジック以外にも「ファイヤーパフォーマンス」などといって火のついたポイ(振り子のようなもの)やスタフ(長棒)を振り回す芸があります。

たしかに迫力がありますし、火傷しないのだろうかというスリルもあります。しかし、ファイヤーパフォーマンスの芸術的価値はどれほどでしょうか?パフォーマーや観客の火傷、火災の危険を負ってまで行う価値があるでしょうか?

私はないと思います。パフォーマーは火を使った芸を止めた方が良いと思います。しかし、パフォーマーだけに責任があるわけではなく、あまりに安直に「火=すごい」と決めつけている消費者側にも問題があると思います。火はとにかく危険で、事故も多いです。パフォーマー側が控えるのはもちろん、観客側が求めなければ火を使ったパフォーマンスは減っていくと思います。

実際、海外のパフォーマーでも火を使わなくなった方は多いと聞きますので、日本も倣うべきだと思います。

「血」について

実際に血を流すかどうかはともかく、一歩間違えれば血を見るようなマジックも昔からあります。これもやはり人間のスリルというか、一種の残酷さを利用しているのではないかと思います。

格闘技も昔から人気のある興行ですが、人々は格闘技を純粋にスポーツとして楽しんでいるのでしょうか?もちろんボクシングなど、きちんと競技として親しまれているものもありますが、一部の格闘技や格闘技ファンは、心のどこかで、人が傷付き、血を流すのを見たいと思っていないでしょうか?

また、テレビのバラエティー番組においても、人の痛み、苦しみ、恐怖などを笑う構成は時代遅れになってきていると思います。

闘争心や残酷心は人間の本能的な部分もあると思いますし、ある種のストレス発散になるかもしれませんので否定はしませんが、マジックやパフォーマンスにおいて、いたずらにパフォーマーや観客に危険が及ぶ類の芸は、火と同じく、見る側、演じる側ともに控えた方が良いのではないかと思います。

「動物」について

「マジック=鳩」、「サーカス=動物」というのは既に時代遅れになりつつあります。サーカスに使われる熊や象、その他の動物の飼育環境が悪いと度々問題になっています。すべてのサーカスがそうではありませんが、動物愛護の問題があるのは事実です。

現在、世界で最も知名度のあるサーカスはシルク・ドゥ・ソレイユだと思いますが、動物を使わないサーカスとして有名です。その他の海外のマジシャンやパフォーマーも、「脱・動物」をしている方々も多いです。

マジックにおいて動物といえばジークフリード&ロイがショーの最中に虎に襲われて大怪我をした事件も有名です。彼らのショーはこの事故を機に閉幕してしまいました。動物を使ったパフォーマンスは人間、動物ともに負担が大きいです。

逆に、動物を使ったパフォーマンスが見たい、という方は、本当に動物がお好きなのでしょうか?本当に動物を愛していて、動物を見たいなら、動物園や水族館など、適切な飼育環境にある動物たちをたくさん見ればよいのではないでしょうか?パフォーマンスに使われている動物でなくとも良いはずです。

いやいや、マジックに生きている動物を使うから凄いんじゃないか、という意見もわかります。しかし、だからこそ、往々にして動物たちが苦しみ、傷つき、死んでしまうのではないでしょうか?パフォーマーの能力の証明に動物を使うのはそろそろ終わりにしても良いのではないでしょうか?

まとめ

火を見たい、血を見たい、動物を見たい、というのはある種の人間の本能だと思います。しかし、私はマジックやパフォーマンスが、本能的な興奮に訴えるだけのものではなく、より知性や感性に訴える文化的なものであってほしいと思っています。

私は過去の偉大なマジシャンやパフォーマーをも否定したいのではありません。時代が流れ、今日のマジック、今日のパフォーマンスを見る側、演じる側ともに考えるきっかけになればと思っています。

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