マジシャンがクラシックを愛する理由

クラシックと言っても音楽の方ではなく、クラシック・マジックのことです。「時代を越えて生き延びてきた」という点もありますが、私が以前から感じていたもう一つの視点も語りたいと思います。

クラシック・マジックとは

そもそもクラシック・マジック自体の定義が曖昧なのですが、私の感覚では100年経てば立派なクラシック、50年くらいでもそろそろクラシックの仲間入りかな、といった感じですがいかがでしょうか?具体例としては、S.W.アードネスの「The Expert at The Card Table(邦題:プロがあかすカードマジック・テクニック)」が1902年、「ヴァーノン・ブック」が1956年、リセットで有名なポール・ハリスの「スーパー・マジック」が1977年です。

私が考える、クラシックが愛されるもう一つの理由

クラシックマジックが優れている理由として、時代を越えて生き延びてきた、ということ以外にも大きな利点があると私は考えており、それは「色がついていない」、正確には「すでに色が抜けてきている」という点です。

例えば、最近発売されたばかりのマジック道具には、マジシャンや、ある程度の愛好家なら、「ああ、あのマジックか」という感じでイメージがあると思います。それが現役で活躍しているマジシャンやクリエイターが作ったものなら、その人たちの顔も浮かぶかもしれません。それが私がなんとなく感じる「色のついたマジック」なのです。

もちろん最新のマジックは洗練されており、レパートリーとして重宝することもあるでしょうし、そこはありがたく使わせていただいても全然良いのですが、それでも演じている自分自身が、どこか借り物のマジックを演じているような気持ちにならないでしょうか?

究極は自分のオリジナルマジックを開発することですが、それは中々簡単なことではありません。その点クラシックは考案されてから時間が経っているため、特定のマジシャンのイメージが薄れていたり、考案したマジシャンの活動時期がかなり昔であったりすれば、その分自分の色を付けやすいのではないかと思います。

音楽に例えると、コピーバンドが最近の曲をコピーするのはなんとなく借り物感がある(どこかに本物がいるので当然ですが)のに対し、同じく他人の作った曲を演奏するにしても、クラシック音楽家がショパンやリストを演奏するのは気にならない、といった感じでしょうか?

クラシックの音楽家はおそらく、楽譜を見て只そのまま演奏するというよりは、自分なりに作曲者の意図を理解、解釈して、ある意味自分のものとして落とし込んで演奏するのだと思いますが、クラシックマジックを演じるのは、これに近いプロセスがあるのではないかと思うのです。

結論としては、オリジナルのマジックをつくるにしても、クラシックを自分なりに演じるにしても、どこかに自分の感性を織り込みたいな、ということです!

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