今回は私が個人的に楽しみにしているテレビドラマ「禁断の魔術」と映画「沈黙のパレード」についてです。
「禁断の魔術」と「沈黙のパレード」はどちらも東野圭吾さんの小説ガリレオシリーズの映像化作品です。
「禁断の魔術」は9月17日放送、「沈黙のパレード」は9月16日公開予定です。私はどちらも原作小説を読んでいたので、今回映像化されると知ってとても楽しみです。
「禁断の魔術」について
しいて比べるとしたら私がより好きなのはこちらです。どれくらい好きかというと「容疑者xの献身」と同じくらい好きで、そちらも小説、映画ともに素晴らしい、稀有な作品でした。
私が「禁断の魔術」を読んだのは数年前ですが、今回少しだけ心配だったのが安部元首相の銃撃事件があったことです。実はあの事件を受けて、私が不謹慎ながら真っ先に思い浮かべたのはこの小説でした。あまり詳しくは書けませんが、小説を読むか、今回のドラマを見ていただければ、おそらく皆さんもこのフィクションと実際の事件の類似性に気が付いていただけるのではないかと思います。
とはいえ、私は創作物に触発されて事件を起こすという発想には懐疑的ですし、実際、この小説と実際の事件とは全くの無関係だと思います。それでも、東野圭吾さんの才能に恐ろしさすら感じます。やはり事件の動機や、犯人の心理など、非常に説得力があるからこそ、偶然とはいえ実際の事件と共鳴してしまうのだと思います。
ガリレオの長編の魅力はガリレオ本人はもちろん、犯人にあると思います。この作品でも、犯人の家族への思いや、ターゲットに対する執念深さ、そしてどうしようもない悲哀に満ちています。せっかく優秀で才能がありながら、環境や様々な要因でそれを正しく発揮できずに犯罪を犯してしまう悲劇に、小説とはいえ深く考えさせられます。
まだ見ていませんが、本当に私のイチオシのテレビドラマです。
「沈黙のパレード」について
明るく楽しい事件などあるわけないのですが、この作品の前半はとりわけ重苦しい空気に満ちており、非常に暗い人間の闇が描かれています(ダークだけに)。そして、ガリレオが登場するとその対比がはっきりします。つまり、人間の醜さ、愚かさに対して、ガリレオの聡明さと倫理観が浮かび上がり、混迷した状況に人々が求めているのはこのような人物なのだと思いました。
読後に、私が個人的に教訓としたいと思ったのは「他人に期待しすぎてはいけない。結局は自分が頑張るしかない」ということです。このようなメッセージが直接的に書かれているわけではなく、あくまで私が感じたことですから、人によって様々な受け取り方があると思います。
映画化するにあたって、情報量はだいぶ削らなくてはいけないと思うのですが、どのような作品になっているか非常に楽しみです。こちらは実際に映画館に足を運ばなくてはいけないというハードルはありますが、ぜひ見に行きたいと思っています。
昨今では映画は大変贅沢な娯楽となってしまいました。例えば皆さんは、2時間もの間、一度もスマートフォンを触らず、トイレにも行かずに一つのことに集中する機会はあるでしょうか?そんな集中の時間を作れるのも映画です。お金だけでなく、時間の使い方という意味でも非常に贅沢なのです。
そんなわけで私は今月、2つの映像作品を楽しみにしています。
「禁断の魔術」を見ました。
あまりお目にかかれない凶器に驚きました。
ガリレオシリーズはどれも興味深いですね。
コメントありがとうございます。
「禁断の魔術」も2時間に圧縮されてもテーマがはっきりと伝わりましたし、良かったと思います。
ただ私がガリレオシリーズのファンなので少し贔屓してしまっているかもしれませんが。