日本のマジシャンで知らない者はいないサーストンの3原則について、私なりに考えたことをご紹介します。今回は3原則でもっとも有名な種明かしについてです。
サーストンの3原則について
これは多くの方が知っていることなのでさらっとまとめますが、サーストンの3原則とは、マジックでやってはいけない3つのルール「種明かしをしてはいけない」「同じマジックを2度繰り返してはいけない」「先に現象を説明してはいけない」のことです。サーストンという有名なマジシャンが作ったとされていますが、実際はわかりません。また、特に日本で有名なようです。
「絶対に種明かしをしてはいけない」のか?
これは言うまでもなく間違いです。なぜなら、世界中すべてのマジシャンが種明かしをしなくなったら、今生きているマジシャンがいずれ年を取って死んでしまったら、この世からマジシャンがいなくなってしまうからです。では種明かしをしてはいけないケースはどのような場合でしょうか?
サーストンの3原則はあくまで演じる際の注意である!
忘れられがちなのですが、「種明かしをしてはいけない」を論じる前に思い出しておきたいのが、残りの2つの原則は明らかにマジックを演じるときの注意であるということです。したがって文脈からして、「(マジックを演じるときに)種明かしをしてはいけない」と解釈するべきではないでしょうか?
つまり、もっとも種明かしをするとまずいシチュエーションとは、あるマジックを見せた直後に「どうやったの?」と聞かれて、そのまま種を教えてしまうことです。
これではさすがに苦労してマジックを覚えた甲斐がありません。マジシャンはエンターティナーだから相手を楽しませなければいけないといっても、マジシャンがどんなにひどい目に合ってもかまわないということにはなりません。マジシャンと観客がともにハッピーになれる道を模索しなくてはいけないのです。
種を聞かれたのに教えないのは相手を不快にさせるんじゃないか、と不安に思う方もいるかもしれません。しかし、種がわからないからといってその人が損をするわけでもありません。種が気になって夜も眠れないどころか、下手をすると1時間後にはどんなマジックだったのか正確に思い出せないくらい、マジックというものは生活する上でどうでもよいものなのです。
むしろ「どうやったんですか?」は、マジックを見た後の社交辞令的な意味合いすらありますし、「上手だったので種がわかりませんでしたよ」という報告の可能性もあります。マジックの後に種明かしをしないのは決して極悪非道なことではないのです。
種を聞かれたときの断り方
種を聞かれたときの断り方をいくつか考えてみましょう。
「マジシャンのルールで種明かしをしてはいけないことになってるんですよ」(サーストンの3原則の存在自体を利用する)
「すごく苦労して覚えたマジックなので、まだ秘密ということにさせてください」(そんなに頑張ったのなら無理に種を聞くのは可哀そうだ)
「マジック教室の先生にむやみに種明かしをしてはいけないと言われているんです」(教室に通っているという事実を利用する)
他にもさまざまあると思いますが、いずれも嘘はついていないところがポイントです。参考にしつつ自分に合った表現を考えてみてください。
種を聞かれないのが理想?
種を聞かれるのは、種がばれなかった、つまり一応はマジックが成功した証でもあります。しかし逆説的ではありますが、種を聞かれないのが理想でもあります。見た人に「これはすごいものを見た!なんとなく種は知らないままの方が良さそうだ」と思ってもらえれば、マジシャン冥利に尽きるというものです。デビッド・カッパーフィールドのマジックがその最たる例だと思います。
不思議さと同時に、マジックの設定の作り込みも大事です。例えば、カードを1枚選んでもらってシャッフルしてから、「はいこれです」と言って当てたのでは、あまりに設定がなさすぎ、相手は「へえ、どうやったの?」以外の感想を言いようがありません。一例としては、「実は今日、朝起きたときに1枚トランプが浮かんだんですけど、もしかしてこれですか?」というセリフはどうでしょう?これなら少し設定が明確になったので、直接的に種を聞かれることは少なくなりますし、もし聞かれたとしても、「なぜかそのカードが浮かんだんです」と言うだけです。ほんの少し設定を練るだけでマジックの印象は変わるものです。
失敗して種がばれる場合は?
基本的に、その人がベストを尽くしたうえで失敗するのは仕方がないと思います。その失敗の経験によって、どの程度練習して、どの程度の完成度にもっていけば本番で余裕をもって成功できるのかということが感覚的にわかっていき、マジックは上手くなっていくのだろうと思います。
指導目的
ここからは3原則とは離れますが、種明かしをしても良い場合について考えてみましょう。多くのマジシャンが種明かしを認めているのが指導目的です。先に書いたように、マジックの指導をしなければ新しいマジシャンが生まれず、マジック自体が衰退してしまうので当然です。実際、世に出ているマジックの本やDVDは指導の形をとっており、種だけ教えて終わり、というものはかなり少ないはずです。
プロもアマチュアも、マジック教室や、マジックの専門書、レクチャーDVDをも否定する人はかなり少数派です。では、今もっとも話題となるYouTubeなどのインターネットの種明かしはどうでしょうか?
歴史は繰り返す~本とYouTube~
YouTubeの種明かしは賛否が分かれますが、私自身はこれも指導目的か否かという基準が大切ではないかと思っています。もちろん最近発売されたDVDの内容をそのまま教えてしまう、というのは(法的にどうかはわかりませんが)おすすめできません。しかし私は最近、YouTube上のマジック講座自体は一概に否定できるものではないなと感じています。
というのも、私の教室にも、YouTubeのマジック解説を見てマジックに興味をもったという方が少なからずいらっしゃるからです。そのような人はマジックを馬鹿にし、種を軽んじているとんでもない人達か、といえば決してそんなことはなく、きっかけがたまたまYouTubeであっただけで、マジックを愛する他の多くのマジシャンと本質は変わらないと感じています。
ところで、何で読んだか忘れてしまったのですが、かつてマジックの本がほとんどなかった時代、当時のマジシャン達は、マジックの本格的な解説本が出版されるのを嫌がったというのを聞いたことがあります。しかし今ではマジックの本は当たり前、現在YouTubeのマジック解説に抵抗を感じている人も、いずれその意識は薄れていくのではないかと予想しています。「YouTubeでマジックを覚えるなんてけしからん、本で覚えなさい!」というのは、実は単なる時代の差ではないかとも思うのです。
まとめ
- 求められるがままに種を明かしてしまっては、努力が報われない。誠意とユーモアをもって断れば大丈夫
- 種を聞かれにくくする工夫もある
- 種を教えるのは同志を増やすとき
こんな感じでしょうか?長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。