2019夏の思い出

今回は打って変わって日記風の記事を書こうと思う。それもマジックというより私個人の事だ。だから語尾もいつもの「です・ます調」ではなく、「である調」にして、等身大の自分で書こうと思う。

今年の夏、10年以上ぶりに富山に行った。私は母が東京で、生まれも育ちも東京なのだが、父方の実家は富山なので、私のルーツの半分は富山の人間とも言える。今回富山に行ったのは、先日祖父が亡くなったにも関わらず、仕事やその他さまざまな状況から、葬儀に行けなかったからだ。

祖母が今は独りで住んでいる家は、さすがに田舎だけあって、東京では考えられないくらい広く大きかった。おまけに庭も大きく、石灯籠が3つも置いてある。しかし掃除は行き届いていて、庭も真夏にも関わらず、しっかりと草むしりがしてあった。家の手入れはすべて、足腰の悪い祖母が独りで行っているそうだ。普通に考えたらもっとサボっても良さそうなものだが、完全に習慣になっているのだろう。それでも「石灯籠は3つも要らないから、ひとつ持っていきなさい」と言われたのには笑ってしまった。石灯籠が似合う庭なんてないし、さすがに持ち帰りようがない。

夜はとても暗いそうで、祖母は独りの夜が怖くて仕方ないと言っていた。それはおそらく、一人では何かあったとき心細いという意味と、幽霊でも出そうだという意味、泥棒に入られでもしたらという意味などが混じり合ったものだろう。石灯籠なんかあるから余計に怖いのでは?とも思った。いっそのこと東京に住んでしまえば良いのに、と思うのだが、今のところ富山から離れる気はなさそうだった。

家の中を見て回ると、私は遺伝というものの不思議さを強く感じた。部屋の至るところに私の興味をひくものがあったからだ。まず、机の上の、祖父が解きかけの数字パズルの本。私は今でこそほとんど数字パズルの類はしないが、10代のころはときどき専門誌を買って解いていたことがあった。そのとなりにあるのは祖母が読んでいる「終活」の本。私も最近はある種の身辺整理が好きで、もし自分が年を取ったら間違いなくこんな本を読むだろうなと思った。

また別の部屋には祖父が作った大きな帆船模型。実は私も昔から手先が器用で、中学生のころ、とある模型コンクールで入賞し、作品が雑誌に載ったこともある。他にも囲碁の定石書や、親族の描いた風景画(私も高校時代美術部だった)があったりと、なんだか奇妙なくらいに一つ一つの物にシンパシーを感じるのだ。

そんな中でふと、机のペン立てに差さった何本かのボールペンに目がとまった。ボールペンのインクは非常に長持ちするもので、よく使いきる前に失くしてしまったりするものだ。祖母が日頃メモに使うといっても大した筆記量ではないだろう。するとこのボールペンたちはすべて使い切られることはないんだろうな、と思った。普段私たちの周りにあるものは、持ち主よりも寿命が短い場合が多い。持ち主により使い切られたり、壊れたりして捨てられる。しかしこの家にあるものは、この家自体も含めて、持ち主と物の寿命が逆転してしまっている。それがなんだか切なく感じた。

私はとんでもない祖父母不孝者だが、今回の富山訪問はしてよかったと思っている。祖母にとって今本当に大事なのは、お金でも、大きな家でもなく、祖父の思い出と、一緒にいてくれる話し相手なのだろうと感じたからだ。祖母は孫とひ孫に会って本当に嬉しそうだった。そして何度も何度もまた来てくれと言っていた。

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